頑張った政策立案者って誰? 行政のパフォーマンス評価の難しさ

もしあなたの企業の人事部や広報部の社員が、ある日突然数億円のボーナスがでたらどう思いますか?

金融日記で興味深いエントリーがあったので紹介。
日本は優秀な政策立案者のサラリーが安すぎるんじゃないか?
上にリンクした金融日記の論点を整理してみると

  1. 官僚の給料は(能力に比べ)安い
  2. 天下りによって生涯年収を埋め合わせている
  3. そんな構造が官財の癒着構造になっている
  4. それだったら国益と彼らのインセンティブを合致させて国のために頑張ってもらい、その代わり高給を取らせよう

とまあこんな感じだ。言ってることは正しいんだが、実際に考えてみると非常に難しい。
この話をややこしくしているのは行政のパフォーマンス評価が容易にできない点にある。学問的にもPublic Managementなんて分野で日々研究されてるんだが毎度その難しさが問題になっている。
以下、困難の原因を3つ程提起してみよう。

行政のシステムは予算が渡され、その予算を使い切る事にインセンティブが働いている

民間ではコストを抑えてパフォーマンスを多く生み出した人が評価される。しかし行政の世界では逆で、与えられた予算を使い切った役人がよい役人だ。コストを削減して予算を残すと、次年度から予算が削減されてしまう。これは非効率だが仕方のない話で、例えば生活保護で考えると、コストを抑えようとするとできるだけ支給するなという話になってしまい、貧しい人々は困ってしまう。であるから、国会で決めた予算(=国民が自ら決めた税金の配分)をきっちり守って使い切る事が最も正当性のある行動とみなされ、それは実践される。

環境省はサボればサボる程GDPの伸びに寄与する。

この例はある指標をパフォーマンス評価とした時に起ることである。金融日記の藤沢さんは例えば他国との相対的なGDPの伸びでの評価を提言しているが、GDPの伸び率に外務省の仕事なんて何の関係もないし、環境省なんて働けば働くほど抵抗勢力になってしまう。総務省統計局なんてブロガーに対する貢献度はクソ高い*1のに、彼らを評価する指標なんて作れるのだろうか?藤沢さんはGDPと多分ぱっと思いつきで言ったのだと思うが、このパフォーマンス評価の新しい指標、行政学の研究者は毎日真剣に探している。

仕事の内容がバックオフィス的。評価がし辛い。

言ってみれば、官僚の仕事は民間企業で言うコーポレート部門の仕事に例えられる。人事の人がどんなに頑張って配置をしたところで、それが最適配置だったのか誰もわからない。広報や法務もまた然り、どんなに頑張っても数字にはなかなか出てこない。彼らの頑張りようは評価が非常に難しく、いわば表に出てこない潜在的な損益を相手に戦う仕事なのだ。もしアメリカで一昨年リーマンブラザーズを救済していたら「リーマンショックを回避しました!」とオバマとその周辺の行政スタッフは評価されていただろうか?いや、そうではあるまい。
官僚にボーナスを与えるってのは証券会社で例えると、売買管理部門のある人間が数年後には1千億円に膨らむ可能性のあったトレーダーの不正を未然に防いだとして、その●%、●億円のボーナスを貰う、とかそんな感じ。未然に?とか、1000億って誰が試算したの?とかそういうツッコミがでてくる。
さらに言えば行政のパフォーマンスは四半期では現れてこない。それこそある官僚が「少子化対策に非常な貢献」をしたとしても、これって10年、20年経てばわかるかもしれないけど、現段階では全くわからないから賞与の仕様がない。

能力をどう生かすか

とまあ行政と役人のパフォーマンス評価がし辛いことがわかる。だけど今の官僚機構では日本の誇る優秀な頭脳を生かしきれてないのもまた事実。基本的には金融日記の方向には賛成だ。給料的なインセンティブもできるところ(評価できるところ)から始めていけばいい。外部の人間を入れることも進めるべきだ。
あとは政治家が人事権を握る事がカギだと思っている。いまの官僚機構の問題は自分たちの仕事に、自分たちが評価して、自分たちが人事を決めている点にある。この構造が外部の人間(御用学者以外の学者、経営者等)の排除や、天下りの多寡によっての行政を生み出している。人事権を政治家たちが握ることで、(一応)外部の人間が評価をした上で行政を行うことが可能となり、さらにそこから外部の人材の登用などの話も発展していくだろう。民主党の今回の案はどれだけ運用後に政治家がどれだけ官僚の人事に介入できるかにかかっていると考えている。

*1:よく参照してます。あーざーす