舛添を支援しない小泉進次郎は計算高い。都知事選での造反は処分できない自民党の歴史


細川出馬で都知事選の結果が分からなくなった。自民党は舛添擁立を決める時も党内ですったもんだの末に、「勝てる候補」ということで舛添の推薦を決定したのに「勝てないかもしれない」ので擁立の大義を失ってしまった。
早くも細川出馬に一役も二役も買った小泉純一郎元首相の次男進次郎は舛添は応援しないと明言している。私はこの発言を聞いて小泉進次郎はほんとに計算高いなと思った。自民党都知事選で過去も造反・分裂した状態で選挙を戦っているが、いずれも処分は軽い、あるいは処分なしになっている。自民党内で細川の掲げる脱原発にシンパシーを持っている議員は「国家を変える」、「自らの信条を貫く」ためにもバンバン細川の応援をするべきだ。舛添を応援しても勝っても今と何も変わらないし、負けたら負けでそれっきりだ。
さて、過去の分裂した知事選でその後の処分を追ってみたい。

91年 都連・本部分裂での都知事

91年の都知事選は現職の鈴木俊一自民党東京都連が支援し、自民党本部はNHK報道局長で新人の磯村尚徳に公明、民社と相乗りで推薦を出した。結果は都連が応援した現職の鈴木俊一が磯村に80万票の大差をつけ当選する。
その結果を受けて本部の小沢一郎幹事長が敗戦の責任を取って辞任するが、そのあとについた小渕恵三幹事長は「党内融和をはかる」として造反組の都連幹部や都内選出の国会議員に対しては一切処分を行わなかった

99年 4陣営分裂の都知事

99年はさらに混沌とした選挙だった。現職の青島幸男が出馬しない状況下で自民党は元国連事務次長の明石康を推薦する。しかし都連幹事長の柿沢弘治が反発し、議員を辞職し自ら出馬を決断する。さらには舛添要一石原慎太郎も出馬を決める。この4陣営に自民党の国会議員が分裂をして戦うことになる。

当然各議員の系列の地方議員が応援に回るので、地方議員も巻き込み熾烈な戦いになった。また都知事選後に行われた区長選などでも分裂する事態が起こった。結果は御存じのとおり石原慎太郎が当選、次点に民主党推薦の鳩山邦夫がつけた。
さて分裂の処分はというとこれまた軽いものであった。

  • 柿沢弘治陣営:柿沢除名、鯨岡は自ら離党申請し、受理される。
  • 桝添要一陣営:栗本は離党申請するも受理されず除名(盗聴法でも造反した結果)。
  • 石原慎太郎陣営:石原伸晃は役職停止3か月、平沼、小林は処分なし。

とまあ選挙の責任者というべき選対本部長の石原ジュニアですら役職停止3か月、石原を引っ張り出して党内から「A級戦犯」とまでいわれた小林興起も処分はうやむやになったままで終わってしまった。それ以下の水面下で応援した議員についてはまったくノータッチであった。
つまり都知事選での分裂は自民党にとってよくあることで、都知事選での分裂ごときで重い処分は下せないのである。小泉進次郎はそれを知っているのか平気で舛添を応援しないと言った。計算高い。小泉ジュニアだけでなく、もともと応援する大義のない舛添だったら、自らの政治信条に近い候補を応援したらどうでしょうか。自民党の先生がた。