東京都知事選 細川護熙、総理辞任の主因となった東京佐川急便 疑惑の1億円事件まとめ

昨日、細川元首相が都知事選に立候補すると発表した。
猪瀬前知事は徳洲会から5000万円を借りたのか、もらったのか、何に使ったのかで揉めに揉めて挙句の果てに辞任した。その次の知事として細川氏が出馬を表明したのだが、細川氏自身も94年に首相辞任の一因となったのが東京佐川急便からの1億円の受け取り事件だった。この記事では20年前のポイントをおさらいしてみよう。
調べていくと猪瀬と同じすぎて笑える。

概要

参議院議員(3期)であった細川護熙は1983年2月に熊本県知事選に出馬し当選し、知事を2期務める。その後92年に国政へと復帰し、8頭立ての馬車の旗手として非自民連立政権の首相となった。
問題となったのは熊本県知事選に出馬する直前の1982年10月ごろに東京佐川急便より借り入れた1億円の使途である。1993年春から週刊誌で火が付き、1993年12月から野党(自民共産)はこの1億円を選挙に使ったのではないかとみて国会で追及する。細川答弁は微妙に修正を重ねながら、新たな疑惑を生み出す(NTT株購入の件)がうやむやのまま細川辞任でいったん終了する。事件の構造は猪瀬と似ている。

ポイント1 借りた1億円の使途の説明がおかしい

1982年10月ごろから東京佐川急便から借りた合計1億円は細川いわく、7700万円はマンション購入の費用として、2300万円は熊本の自宅の山門や塀の修理に使ったという。しかしながらマンションについては借り入れた時期より2か月前に購入しており(つまり借りた前に既に買っていた)、自宅の山門、塀の修理については借り入れから7か月後・1年8か月後に修理の届け出が出ている。お金を年利8%で借りているのだから、1年後、2年後に使うのはとても信じられる説明ではない。猪瀬と同様に選挙直前に借りたお金であり、選挙で使ったのではないかと疑惑を呼んだ。

ポイント2 1億円を返済したかどうかが証明できない

猪瀬問題でもあまりにも簡素な借入書が問題となったが、この疑惑でも返済したかどうかの証拠が残っていない。1億円のうち1千万円については領収書が発見されたが、そのほかについては宙に浮いたままだ。細川の国会での弁明は別荘についた根抵当(1億円借り入れの担保という)が外されたことと、佐川急便側から提供された契約書などの6点セット*1によって返済したと主張した。本来保存しておくべき細川側の書類は殆ど紛失状態であった。
確かに細川のいうように政治資金を受けるのに別荘に根抵当をつけるというのは不自然だし、それはそうかとも思えるのだが、佐川側から提出された書類があまりにも杜撰なことが一層疑惑を黒くさせている。また、野党(自民党共産党)からの追及に「事務所がやったこと」、「佐川の資料だから私の関知しないこと」という一貫した答弁が余計に心証を悪くした感がある。
佐川側から提出された6点セットも割印がなかったり、書類の綴じる穴が左右ばらばらにあったり(なので書類が綴じて保存できない)、挙句の果てには返済した日が3年連続で佐川が営業していない12月31日だったりと、返済の証明というより書類自体を後から作ったものではないか、と疑惑を生むのに十分なものであった。

ポイント3 疑惑の二階建て NTT株売買

さらに疑惑が追及されていると、佐川から借りた1億円で買ったマンションを担保に、4億2000万円を借りて(義父が)NTT株を売買しておよそ5000万円の売却益を得た事実が明るみに出た。これについても細川は義父のやったことと我関せずといった感じだ。

そうこうしているうちに1994年4月に内閣の目標としていた政治制度改革を終えたとして細川内閣は総辞職し、この問題もうやむやのままで終わってしまった。
徳洲会から5000万円の借金の使途問題で辞任した猪瀬前知事の後釜に、これまた同じようなスキャンダルを抱え、政権を投げ出すような辞任した細川を据えるのもおかしな話だ。

*1:消費貸借契約証書、担保に関する覚書、根抵当権の設定契約書、貸付金台帳、領収書、利息計算通知書