セレンディピティ

ふとした偶然から新しい発見をすることをセレンディピティという。例えば、

  • ぼーっとしてて間違ってカレーにソースかけてしまった。食ってみたらうまかった。
  • カビの生えたシャーレに細菌が増殖していなかった。ペニシリンの発見。
  • レーダーの近くのチョコレートがドロドロに溶けていた。電子レンジの原理の発見。

みたいな感じだ。語源はウィキペディアに詳しいが、セイロンの王子がふとしたことから新たな発見をする寓話がもとで、セイロン(セレンディップ:現スリランカ)から変化してセレンディピティとなった*1。語源を知ってか知らずか勝間和代スリランカセレンディピティがあったという非常に粋なエントリーを書いている。

能力としてのセレンディピティ

セレンディピティは厳密な意味では、偶然から新しいことを発見する「能力」であるという。確かに普通はカビの混入してしまったシャーレを見たら、失敗だと思い捨ててしまうだろう。それをカビの周りに細菌が見えない、まさか・・・と思える力がペニシリンの発見には不可欠であった。フレミングセレンディピティだ。レンジもまた同様。普通は「おやつのチョコレートがドッロドロやぞ!!」で終わっちまうことだ。また、セレンディピティは化学的な発見の能力にとどまらず、企業家の能力でもあるだろう。日常のふとしたことから生まれるアイディアが革新的なビジネスにつながることも多い。

歴史と未来とセレンディピティ

話題の本『ブラック・スワン』もセレンディピティが大きなテーマとなっている。この本は「あり得ないことなんてあり得ない」、「予測は不可能だ」と説く本だ。本文は彼の膨大な知識によって話がとびとびになりやや難解になっているが、ロジックを簡単に確認*2しておくと、

  1. 予測を行うためには情報が必要である。
  2. それに用いる情報は過去のものである。
  3. しかし、その過去の歴史そのものが予測ができなかった偶然によって作られている。
  4. よって予測をしたところで、その予測は当たらない。偶然が起こり、予測は外れる。

例をあげよう。紀元前3000年に車輪が発明された。これによって人類の文明は大きく進歩するわけだ。では紀元前3000年より以前に車輪の発明とその後の人類の発展を予測できるだろうか? そのためには紀元前3000年より前に「紀元前3000年に車輪が発明される」と予測しなければならない。しかし「車輪が発明される」と予測できるということは既に車輪の存在に気付いているはずだ。アレ?これって紀元前3000年より前に車輪が開発できるはずなんじゃない? とこんな感じだ。つまりは車輪の発明は紀元前3000年に突然開発された、そしてその予測は不可能であった(なぜなら予測できたらその時点で車輪を作っているから。)。ということだ。
上記をまとめる。まず歴史がセレンディピティ的な*3出来事から大きく変動していることが分かる。そして偶然の出来事から歴史が動く以上、予測は不可能。ということである。
話がセレンディピティからブラック・スワンになっちまった。まあ、どっちも偶然から大きく世界は変わるよ、ということだ。そしてその「偶然」は偶然で終わってしまう人と、偶然に気づいてモノにできる人がいるよ、と。日常のふとしたこと、ふとした思いを大切にしたいね。

*1:ある作家が作った人造語らしい

*2:「単純化」は著者タレブの最も嫌うことだ。サーセン

*3:ブラック・スワン』ではこれをブラック・スワンとよんでいる