友愛外交:表現とメッセージの重要さ

さて皆さん、豚インフルエンザ新型インフルエンザって同じモノって気付いていただろうか?最近は「新型インフルエンザ」で定着したが、当初は「豚インフルエンザ」と呼ばれ、ニュースでその名が呼ばれる度に豚肉の売り上げが落ちたように記憶している。このインフルエンザ、加熱した豚肉からは感染せず、さらに豚肉は必ず加熱する食品であるから完全に風評被害というやつだろう。それが「新型インフルエンザ」で呼ばれるようになると豚肉が売れなくなったという話は聞かなくなった。うん、いいことだ。この例から些細な表現一つでえらく社会的な影響に差が出ることがわかる。
もう少し例をあげよう。まずは「メタボ」だ。メタボリックシンドローム、この名称を考えた人はすごい。極端に言えばそれまでの「肥満予備軍」をリネームしただけで人々はダイエットに、健康にすげー気を使うようになった。それもわずか数週間で全国に広まった。まさにネーミングの勝利だ。逆に理解を得られなかったのは「ホワイトカラーエグゼンプション」。マスメディアにつけられたあだ名は「残業代ゼロ法」。これが舛添が言ったように「家族だんらん法」という名称を初めからつけていれば話題にもならなかった可能性がある。このように表し方、伝え方は結果に対して重要な要素だ*1

外交方針「友愛」−−鳩山外交

もう少し話を広げてみよう。政治の場でも表現はとても重要だ。何故なら人々は政権(あるいは野党)の行動全てを見ているわけではないから、政党側から私たちはこんなことをしてますよ!とアピールする必要がある、それも一言で。
近年の例では小泉政権の「構造改革」や安倍政権「美しい国」が挙げられる。しかし、いずれも内政に関してメッセージであり、外交についてのメッセージというのはなかったように思える。ところが新政権の鳩山内閣は「友愛」と明確に外交を表現し、方針を示した。結論から言えば、僕はこの表現と方針を高く評価している。ちょっとわかりにくい「友愛」について以下考察したい。
思えば、日本の外交方針は吉田茂以来「保守本流」(親米・軽武装でその分の軍事費を経済に回す)であった。基本的に「アメリカ第一」で、その他はおまけというものだ*2。鳩山の「友愛」外交はこの親米第一に挑戦する外交方針だ。「友愛」の意味がやや曖昧だから、ほとんどイコールの「博愛」と置き換えてみると話はわかりやすい。いままでアメリカ様だけに愛を注いでいました、でもこれからは中国も韓国も愛を注いでいきたいです!という意味に他ならない。ようは「アジア外交」とかにするとアメリカの反発があるから、他の国も愛する博愛(友愛)という表現になったわけだ。
(以上がエントリーの本質部分で以下はおまけ)「友愛」の方針に賛否はあるだろうが、個人的にはアジアに重点を移していくのは十分ありだと思う。目下領土問題や先の戦争の処理などエモーショナルな問題が山積みだが、他の歩み寄れる部分は歩み寄るべきだ。ちなみに相互依存が深まると反目するインセンティブが減る(反目する事の損失が増える)ため経済的協力をし、文化的に親しみを深めることは論理的にも理にかなっている。もしかしたら10年後に「友愛」が日本外交の転機だったと呼ばれるかもね。

*1:学問としては非営利団体の行うマーケティングを対象としたソーシャル・マーケティングという分野がある。

*2:イスラエル問題に関してはアラブ寄りで、イスラエルに行った首相は村山が初めて。アラブ寄りというより「アブラ寄り」外交と評されている