「福田総理の辞任の真相」に喝 (下にまとめた図もつけてみた)

昨年の8月に日本政府内でファニーメイらを支援する案があったと新たに明らかになった。この情報に際してネットでは福田総理が自らが辞任し日本のカネをアメリカ様に貢ぐことを阻止したという「美談」がささやかれている。
「与太話」としながらも解説している極東ブログが分かりやすいか。2chのまとめはネットゲリラ
しかし、我々はどうにもこうにも記憶力というものが弱く、当時の状況というのを忘れてしまっている。そこで当時の状況(2008年8月)を振り返ってみよう。結論からいえば、極東ブログでも指摘されているようにこの「美談」は「与太話」にすぎない。なぜならこの問題以上に与党の制御不能の方が深刻であったからだ
福田総理は2008年9月1日に突然辞任した。その直前の8月を時系列で追ってみよう*1。(まとめた図を書いたので一番下を先に見た方が早いかもしれない。)

2008年8月の動向

福田総理誕生から11か月後の2008年7月の支持率は24%。それでもって8月2日に内閣改造を行ったものの支持率は24%で微動だにしなかった*2。改造後の新聞は「解散準備内閣」など解散を前提とした論調で解散時期に言及したものが多い。福田としては秘蔵っ子の麻生を要職中の要職である幹事長に据えたものの支持率が上がらなかったことは誤算だっただろう。
さて、さらに目を見張るのは8月20日以降のゴタゴタである(9月1日に福田は辞任する)。このころから与党は本格的にまとまらなくなる。まず持ち上がってきたのは秋の臨時国会の召集日の問題だ。
このころの政府は政策問題で揺れに揺れていた。米軍の給油問題(イラク特措法の延長)や財政政策について、党内+公明党で全くまとまらなかったことが当時の記事に見える。国会の召集日を決めるだけで3日を要するなどすこし異常だ。記事を2つほど。

主導権握れぬ福田首相 国会召集日、確定せず 自民幹部「グズ内閣だ」
 特措法問題だけではない。補正予算をめぐる攻防は、今月末の総合経済対策の取りまとめに向けて激しさを増している。財政再建路線にこだわる首相に対し、選挙向けに大幅な財政出動を伴う補正予算臨時国会で成立させるよう求める与党内の声は高まるばかりだ。
朝日新聞 2008年08月20日朝刊2面

天声人語からも。なお北京五輪が8月8日から始まっている。

北京からの絵に一喜一憂するこの国で、覆いようがなくなってきたものがある。政治と経済の弱さだ。
福田首相は早めの臨時国会で成果を上げたいのに、長い会期を嫌う公明党の意向も無視できない。間(あいだ)をとって、国会召集は9月中旬らしい。先の「追い込まれ改造」同様、首相に主導権はなく、自民幹部からは「ぐず内閣」の声まで出た。
与野党の関心は、誰の手で解散・総選挙をするのか、この一点。地味な首相では選挙の顔にならないが、唐突に派手な人が継いでも有権者に密約を疑わせる。いずれにせよ、解散含みの国会で実のある政策論議になるか。
朝日新聞 2008年08月22日朝刊1面

もともと福田は財政再建派であり、8月2日の内閣改造財政再建派の与謝野を経済財政担当大臣に据えた。しかし選挙に備えなければならない自民と公明のバラマキの圧力で相当もめている事が記事からわかる。さらに特措法もあって、ますます混沌とした様相になっている。
政策の迷走は辞任まで続く。以下新聞の見出しを2つ。

公明、バラマキ戦略 選挙念頭、譲れぬ 減税だ、燃料費補填だ、中小企業支援だ 」 8月22日朝日朝刊

「財源は、与党に火種 再建派と出動派、対立鮮明 総合経済対策決定」 8月30日朝日朝刊

細かいとこでは26日に太田農水大臣の事務所費がどうだらという問題も噴出、ついに9月1日にノックアウト辞任、というわけだ。
つまり、まとめると辞任直前の8月下旬の様相は下の図のようになる。大きく言えば問題は2つだ。福田は財政再建路線で行こうとした(与謝野入閣)が、自民と公明の出動派とモメる。もう一つは特措法関連で公明とモメる。公明は都議選と選挙に備えてばらまくインセンティブが相当に高い、というわけだ。このカオスを国会の召集日を決めることすら手間取るような内閣では、もはや与党を取りまとめて政策を着地させる力はなかっただろう。野党の追及もあるしね。もちろん、フレディマックファニーメイの救済案も議論自体はされたんだろう。でもそれよりむしろ辞任の主因は与党内の収集が全くつかなくなったからと考える方が順当である。

*1:データは朝日新聞のデータベース「聞蔵」より

*2:支持率は朝日新聞の調査