江戸時代に学ぶ財政再建

鳩山政権の迷走っぷりが目につく。小沢が陳情を幹事長に一元化したと思えば、仕分けは刷新会議がやります、でも国家戦略室の菅がスパコンについて物言いをつけたり、相変わらず亀井が暴走してたりと、鳩山より下のレイアーで好き勝手にやってるイメージだ。かくいう鳩山といえば未だ幸夫人とメシ食ってるイメージしかなくて、何やってるんだかよくわかんない。さしずめ大奥で遊びつつ、仕事は重臣に「良きに計らえ」と一任する江戸時代の将軍みたいだなと思った。
そんなわけで今日は江戸時代に学んでみようと思う。江戸時代から何学べるんだと思うかもしれないけど、現代の政治の中枢人物も

  • 外様だけど異様に力のある雄藩大名の小沢一郎
  • 広島の小大名で前政権では仕置きを食らってたのが一転、幕閣入りして張り切っている亀井静香
  • 刷新会議と国家戦略室はさしずめ南北江戸町奉行か、勘定奉行といったところだろうか
  • そして最後に政治は部下に一任、自らは大奥で幸夫人とメシを食うショーグン鳩山由紀夫

と江戸時代に変換できなくもない。
さて、そんなことを話したいんじゃない。今日紹介するのは江戸時代の財政改革の話だ。江戸時代には300もの諸侯がいて、大体どの藩でも財政がヤバかったんだわ。それでいくつかの藩は財政を立て直したんだけども、その財政の立て直し方が半端じゃないんだよなってことを紹介したい*1

薩摩藩調所広郷の場合

幕末の働きを見ていると、意外に思うかもしれないけど、薩摩藩は江戸時代後期に調所広郷が登場するまで破綻寸前の自治体だった。
なんたって江戸時代には参勤交代という出張システムがあって、今年は本国、来年は江戸と1年ごとに江戸で暮さなければならない制度があった。その際に薩摩藩は鹿児島から江戸まで大名行列を作って出張しなければならない。「武士は食わねど高楊枝」の言葉通り薩摩藩77万石のメンツをかけて、それなりの行列を作って街道を練り歩くわけだ。さらに江戸からクソ遠い鹿児島から出発だ。にもかかわらず、幕府から出張費なんて出ない。金がかかる。金欠となる。
で、築き上げた借金はなんと500万両。ちなみに当時の薩摩藩の収入は20万両弱。利子すら払えない。そんなときに颯爽と登場したのが調所広郷だ。
それでもって調所は何をしたかと言えば、債権者である大阪商人を一堂に集めて一方的に借金を無利子・250年分割払いを宣言した。亀井静香の「支払い猶予」なんて比じゃない。それでもって返済に余裕ができたから今度は収入を増やすべく奄美で砂糖を作って(もちろん帝愛グループ並みに労働者を働かせる)、琉球を拠点に密貿易もした。
お陰さまで薩摩藩は見事に立ち直り、力を蓄えることに成功し、倒幕の中心となっていくわけだ。

米沢藩上杉鷹山の場合

米沢藩ってのはアノ上杉謙信の系譜をもつ上杉家の領地だ。上杉家ってのは関ヶ原で西軍についたせいで、120万石から30万石に減封された。だけども義侠心溢れる上杉家らしいことに一切のリストラは行わなかったんだわ。収入は4分の1になったけど、社員のクビは決して切りません。つまり30万石なのに120万石分の家臣がいた。そんなわけで江戸時代中期になると莫大な人件費にもう財政がニッチもサッチもいかなくなって、幕府に領土返上しちゃおうかなんて議論も巻き起こったりする。会社清算か。
そんなときに登場したのが上杉鷹山だ。彼がやったのは徹底的なコスト削減。まず江戸での生活費を年間1500両から200両まで減らしたり、大奥の女中も大幅に減らした。まずはトップが見本を見せるってやつだね。そんでもって土地を放り出してた農民を帰農させたり、新産業・養蚕を振興したりして何とか財政を立て直し、孫の代には借金を完済し、5000両の備蓄まで作ることに成功する。

長州藩の場合

長州藩はさほど深刻な財政でもなかったんだけども、江戸中期の天災の連続で御多分にもれず財政赤字を経験することになる。そんなときに現れたのが藩主毛利重就だ。
彼は徹底的に産業振興をした上げ潮派だった。藩内の港を整備して寄港地にしたり(さしずめハブ空港の整備)、新田開発、蝋や樟脳などの特産品の生産強化をした。特に塩田の強化は10年後には20万石の収益を上げることになる(長州藩は公称36万石)。
この藩は事あるごとに改革家出て、幕末期にも村田清風が財政改革に取り組み、専売してた特産品を自由取引にしたり、貿易を強化したりした。こうして幕末期の力の原動力となっていったのである。

まとめ:財政再建は半端じゃない

つまり、まとめると財政再建は半端な覚悟じゃできないということだ。薩摩藩の借金の強制猶予はもとより奄美の半ば強制労働を強いた砂糖づくり、長州だって税金の厳しい取り立てに一揆がおきている。人民も苦しんだ証拠だ。一方で財政に取り組む支配者側も、上杉鷹山は自ら率先して倹約に取り組(江戸の出張費・大奥の経費削減)んで自ら姿勢をみせたし、薩摩の密貿易なんて危ない橋を渡っている。それに加えて政策面にはビジョンがあった。うちは密貿易で食っていくんだ、いや農村改革だ、新産業の振興だと。さて、いまの政府に数十年後のビジョンがあるだろうか?
江戸時代のそれと同じように、現代における財政再建も半端な態度じゃできない。結局のところ財政赤字って週に比べて支出が多い、いわば「不相応な生活」に他ならなくて、いままでの贅沢な生活をやめるか、贅沢な生活を続けるために収入を上げるか、それとも両方するかの3つしか選択肢がない。よく落ちぶれた芸能人がかつての生活をやめられず破産したりするけど、笑えない。日本もかつての水準を保つべく支出しており、全く同じだ。ここは落ちぶれた芸能人の気持ちになって政府は財政を見直す必要がある。そしてそれには政府、国民ともに相当な覚悟が必要なのである。

参考:明治維新のときも本当にこんな感じだったのかもな:これに触発されてこのエントリーを書きました。

*1:この話は主にwikipediaがソースになってる