事業仕分けのバリュー:行政刷新会議・仕分け人の観点から

連休中にあるシンポジウムで話を聞いてきたのだが、パネリストの刷新会議の仕分け人の話が随分と示唆深いものであった。以下その要旨をまとめてみる。(まとめる過程で説明に必要な補足も加え、若干要旨ではなくなっているので仕分け人の名を伏せておく。)

事業仕分けのバリュー

事業仕分け自体は「透明性」の観点で全く新しい取り組みで評価できる。これまでは全く不明瞭の場所で、誰がどう決めているのかがわからないものを見直すというのは非常な意義のあるものである。
事業仕分けが必要な理由だが、仕分けに掛けられている事業はコンセプト自体が悪いものはない。しかし事業の実施の過程で官僚のピンハネシステム*1がビルトインされており、非効率を生んでいることがダメな点だ。つまり、本来は国益のための事業にもかかわらず、具体化の段階で官僚のための事業になってしまっている事が多い。なのでそれを見直そうというのが本質だ。ただし、その根幹の原因は官僚の人事システムなので、今後こちらの方に切り込んでいく必要がある。
多くの無駄を生んでいる原因は、強すぎる年功序列+終身雇用制に基づく中央官庁の人事システムである。ちょっと詳しく説明すると、基本的に中央官庁の官僚機構の人事システムってのは図のようになっている。つまり、

  1. 序列は入省年次でもって横一列。昇進も横一列。(つまり先輩が部下になることはない)
  2. しかし、上になるにつれポストは減っていく
  3. ポストを獲得できなかったものが退官し、天下る

という仕組みだ。つまり天下りが前提となって人事制度が形成されているのだ。同期は横一列で昇進するが、ポストは上に行けば減る。人が漏れるのが当たり前であり、建前では漏れた人々は退官するが、事実上は官庁が彼らの面倒をみている。天下りがなければ人事制度自体が機能しなくなる。だから官僚側も天下りに関する事には非常に敏感であり、国民からみたら多くの不必要なナンチャラ行政法人を作ったりするのだ。この仕組みが続く限り、政府発の事業は天下り先を絡ませた非効率的な運用がなされることを意味しており、いくら仕分けをしたところで次々生まれてしまい意味がない。なので官僚の人事権を彼ら自身から奪うことが必要である。
長期的な成功は、政治家が官僚の人事権を行使できるかにかかっている。今までの官僚の人事は官僚が行ってきたが、(局長レベルから)民間人を登用するなり、官僚の中からでも若手を登用するシステムを構築できれば雰囲気も大きく変わるだろう。

官僚の能力も仕分けする「事業仕分け

もう一点、事業仕分けをして明らかになったことがある。これは予期しなかった副産物なのだが、官僚の能力の低さも明らかになったという事だ。事業仕分けは一般公開、ネット配信もしているが、仕分け作業中の官僚への質疑応答が全く話にならないレベルなのがわかる。見直し対象の事業がどんなビジョンをもって、はたしてベストな運用方法であるかということすら説明できない官僚たちが多い。結局はビジョンも運用方法も「省益」のために最適化されたものだからだろう。かつて「官僚は優秀」といわれていたが、その優秀さはインサイダー間のみに通用する優秀さであって、一般に通用する能力の高さではない事が明らかになったのも大きな収穫だ。事業仕分けは官僚の能力のある者を判定して仕分けるいい機会でもある。
以上2点、仕分け人による事業仕分けを踏み台にして官僚の人事制度にまで切り込む必要がある話と、事業仕分けで「官僚の優秀さ」も仕分けられることができたという話を紹介してみた。

*1:例えば、天下り先の法人をどこかで通すこととか