感情をも記録できる便利なツール

突然ですが、今日は好きな歌の紹介をします。歌って言っても和歌なんですけどね。古典が好きな人も嫌いな人も読んでくれれば嬉しいです。

月をこそ 眺め慣れしか 星の夜の 深きあはれを 今宵知りぬる

(つきをこそ ながめなれしか ほしのよの ふかきあわれを こよいしりぬる 黙読かつぶやいて把握してください!)
超意訳すれば、月の夜空の美しさは眺め慣れていたが、星空の美しさを今夜初めて知った!って感じ。詠み手は建礼門院右京大夫*1
それで歌の背景なんですが、建礼門院右京大夫は平家の御曹司の資盛*2と付き合ってたんですね。ところが壇ノ浦の戦いで平家は滅亡、同時に資盛は自害、その報告を大夫は聞くわけです。それで悲しんでたんですが、いつまで悲しんだことでしょうか、もう外は夜になっています。大夫はふと月でも見ようかと思い、外に出たのだけどあいにく今日は12月1日。旧暦で1日は新月の日*3。ところが月は出てないのだけど、よく見ると12月の澄んだ夜空に星が満天に輝いておりました。大夫はその美しさにびっくりするわけです。んでもって冒頭の歌を読むと。

この歌から感じた3つのこと

一つ目は、平安時代って「星空が美しい」という認識がなかった事にちょっと驚いたということ。和歌は月の歌は多いのだけど、星の歌ってなかなかないんだよね。夜空の美しさ=月みたいな認識だった。つまり星ってのは当時は美しいものの対象ではなかった訳だ。どうやら星空を美しいと一般に認識されたのは西洋の文化が入ってきた明治以降らしい。それを建礼門院右京大夫は星空をみてこりゃ美しいとハタと気付く、この感じがモロに歌に現れている感がいい。普段常識にとらわれてるとなかなかこういう気づきはない。ゼロベース思考があったから美しい事に気づけたんだな。大切にしよう、ゼロベース思考。
2つ目。そのゼロベース思考を呼び起こした原因は資盛の死なんだわ、多分。どの時代でも失って初めてその大切さに気づくと。この歌の中にも資盛との付き合いは慣れていたけど、失って初めてその大切さに気付いた、という意味も含まれているんだろうね。ベタな解釈してごめん。はい次。
で、3つ目。これはテクノロジーの話なんだけども、当時の和歌ってすげー万能なツールだなと思う訳です。というのも和歌がコミュニケーションツール*4であり、それと同時に記録を残すための媒体でもあったわけよ。建礼門院右京大夫のこの歌は誰に聞かせるために歌った訳ではないから、後者として歌を詠んだんだね。
そこで思うのは記録媒体としての和歌の機能すごいということ。現代の記録媒体でも写真や動画でいくらでも綺麗な星空や悲嘆にくれる右京大夫を写したり、記録を取っておく事はできる。そのクオリティさや再現度は和歌の比じゃない。だけれども資盛を失ったその時の感情、星空の美しさに初めて気づくその思い、という「その時の自分の感情」をも記録することができるのは和歌だけだなぁと。しかも5・7・5・7・7の31文字にそれを詰め込めるんだから凄いわ。容量62バイト*5
そんな感じで年内最後は少し感傷的な和歌のお話でした。よいお年を!

*1:けんれいもんいんうきょうのだいぶ:平清盛の娘にして安徳天皇の母である建礼門院徳子の女官

*2:清盛の長男の重盛の二男

*3:朔日・つきたち。月が立つ日だからツキタチ。これが訛って月の初めの日はついたちになった訳だ。どうでもいいウンチク

*4:恋文も和歌だし、和歌の会とかで仲良くなってたし

*5:あってる?